ジェロニモの十字架



第80回文学界新人賞 青来有一 ジェロニモの十字架

後から知ったのだが芥川賞受賞作品でもあるようだ。この作品ほど受賞に相応しいものはないし、もしかすると賞の器を越えた作品とも言える。長崎という舞台が重要な意味をなしているところなど、ニューハンプシャーに捉われ続けているジョン・アーヴィングと作風が被るところがある。ところが、この作品で舞台となる長崎は、大勢の隠れキリシタンが指つめや鼻削ぎ、竹鋸による首切りなど過酷な拷問・弾圧を受け殺害されたという歴史、原爆が投下されたという歴史など、歴史的な大量殺戮の現場となったことが大きな意味を持つ。
口頭癌で声帯を除去し声をなくした主人公。その主人公にはジェロニモという叔父がいて、そのジェロニモ叔父は放火罪や、痴漢などの検挙歴があるだけでなく親族の中では一番の問題児として誰もが悩まされ続けてきた人物だった。そのジェロニモ叔父を中心に、原爆を体験した祖母の代から主人公と従妹の赤ん坊に渡る四世代と、ジェロニモ叔父の心を捉えた隠れキリシタンがいた時代(ジェロニモ叔父は自分の一族がもともと隠れキリシタンだったと確信している)などと歴史を縦断しながら、声を奪われた主人公は過去の中で声を奪われた者たちに思いをはせながら記憶をたどっていく。ジェロニモ叔父には、犯罪歴だけでなく、口にする言葉、態度、ジェロニモ叔父から発せられるものは全てに不快さがつきまとい親族皆から疎まれているのだが、親族たちは心の中ではどこかでジェロニモ叔父に対して優しい目で見守っているところがこの作品に描かれた登場人物と同時のこの作品の深さを感じさせるところで、それは原爆や弾圧といった厳しい現実を目の当たりにしながらも力強く耐えて長崎で生きてきた人々に対する作者の愛が感じられる。

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デッドエンドスカイ




第81回文学界新人賞 塩崎豪士 目印はコンビニエンス

作風は安部公房の「人間そっくり」に近く、ナンセンス小説といっていいだろうか。主人公はある日テレクラでとった電話の相手が指示した住所に向う途中、ひどい迷子に陥り地下鉄の出口を行ったりきたりすることになる。そして、目的地に到着するとそこは病院で間違えたかと思いきや、医者が電話したのは自分だと告白したうえにあなたは特殊な病気にかかっていて混乱しているからこれから言う処方を取りなさいと命令される。その処方とはモーツアルトの音楽を聴いたりなどで本当にこれで効き目があるのかと疑わしくなるようなもの。帰宅すると知らない名前の女性が訪問し借りていたお金を返しにきたと言って、三十円というはした金が入った封筒を主人公に渡す。しかも、その三十円は今のお金ではなく生まれる以前の古い紙幣だった。など、のらりくらりと振り回される主人公であった。



第81回文学界新人賞 清野栄一   デッドエンドスカイ

主人公の若者の家に無職になってなだれ込んできた友人。友人は主人公がいない間にダイヤルQ2を使って電話をかけていたことを、主人公は電話の支払い明細書を見て知る。主人公は友人が電話している相手に電話をすると知らない女が出る。主人公は、友人と偽ってディスコで女と会うのだった。女と肉欲だけを求める付き合いをしていき破滅に向っていく主人公。ドラッグ・セックス・クラブ・無職・アウトロー新興宗教というキーワードを辿りながら若者たちの無軌道な生活を描いた作品と言えるのだろうか。

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脳病院へまゐります。  若合春侑

第86回文学界新人賞 若合春侑  脳病院へまゐります。

精神を冒された主人公の手紙にしたためられた独白を、旧字旧仮名遣いで書いた耽美的な作品。作者の女性は谷崎潤一郎を敬愛し、春琴抄のスタイルを模倣したという。しかし、内容は痴人の愛、卍、刺青など谷崎全作品に通ずるものがあるという入れ込み様。時代は昭和初期。主人公の女性は、夫の留守中にカフェーで出会った谷崎文学を愛する若者と知り合い恋におちる。最初は主人公の方から積極的に迫っていくのだが、相手の若者が良家の娘と結婚すると、男は別れを惜しむ主人公に対して性倒錯を強いるようになる。段々エスカレートしていき、全身男の排泄物まみれになったり乳首を焼かれたりと気絶にまで追いやられることもしばしば。やがて命の危険を感じた主人公は精神病院に身を預けるようになる。同じ病院には高村智恵子が入院していて、夫の無償の愛を受ける智恵子を羨ましく思うのだった。主人公の性倒錯とマゾヒズムを肉体の痛みや醜悪さや卑猥さを通じて描いているが、最終的には女性の怨念へ収斂されていて、旧字旧仮名遣いが相まって精神的にも美的世界へと昇華させた渾身の力作といえる。しかし、倒錯しすぎ(笑)。普通ひく。谷崎作品はああ見えて、当時の文学や道徳事情もあったのだろうが露骨な性に対する倒錯的な描写はなく、精神的な主従関係というかSMが描かれているのがほとんど。なので、倒錯的でない人にもつきつめると納得できるというか共感できる内容だが、この作品の場合は理解を超えた迫力があり納得させられてしまう。

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第88回文学界新人賞  羽根田康美 LA心中

タイトルで分かるとおりLAが舞台。主人公はルックスの良い日本人とのハーフ。ハリウッド女優のような美貌な彼女がいて、法律事務所のようなところで働いている。そんな彼が、ある日本人の中年になりかけの女性と出会い関係を結ぶのだが、その彼女がある日交通事故でなくなる。そして、主人公の彼は記憶を辿りながら彼女の死因を究明しようとする。亡くなったその日本人の女には謎が多く、アメリカにやってきた理由、長年彼女をつけてきているストーカーの男、そして、彼女が恋をしている本命の男。謎が謎を読んでまるでミステリーのようなのだが、謎は謎のままで終わり全体的には若い男と、奔放な中年女性のひと夏の恋物語といった印象が強い。


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第88回文学界新人賞 松崎美保 DAY LABOUR

夫を亡くした中年女性の主人公には、姉と夫の前妻の娘がいる。主人公は姑預けている養老院に介護に行っているのだが、そこで世話をしている老人に欲望の対象とされていて爪切りをしながらその老人に身を預けている。そんな主人公はお金欲しさか孤独を埋め合わせるためか、怪しいバイトの面接を受ける。お金持ちの老人とセックスをする女性の補助をするというものだった。その会社からの連絡の電話にそわそわする主人公だが、ある日姉がやってきて姉が自分が若い男の子を買ってずっと付き合っていると言う。それと同時に、前妻の娘、主人公と同居している法律上では娘となる子が売春しているんではないかと言う。そんな情報にふりまわされながら主人公は初の仕事に出かける。主人公がついた女性はいつも電話でやりとりしていた女性だった。その女性とある老人の邸宅に訪れる。老人の体の動きを補助するといっても裸にならなけらればならない主人公は控えの間で服を脱ぎながらそわそわしていると、手伝うようにと寝室から声がかかる。老人の男の体を押しながら、老人と細身の女性が絡み合う姿を見る主人公。ふと、女の股間に眼を向けるとそこは少女のようにつるつる。
最後に、前妻の娘と一緒に風呂へ入る主人公。仲直りといわんばかりにコミュニケーションを図るがふと娘の股間に眼を当てると、あの細身と女性と同じように陰毛がすっかりそられていた。姉が言っていたように売春をしているんだと知った主人公は怒り飛ばすのだが。


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第85回文学界新人賞 くらい、こうえんの 橘川彌二

ひたすら前へ前進んでいく、なぐり書きのような、丸点がきわめて少なく、長〜い文章がひたすら続くスタイル。話はゲイカップルと男女のカップルのグループの退屈極まりない生活を描いたもの。書き方はまあ普段日常生活では使わないし、使えないよなという文章。芸術は斬新であるべきと言ったらそれまでだが、とにかく何が言いたいのか伝わってこない。ぼんやりと伝わってくるものはあるのだが、よくよく単語を一つ一つ読んでみると、学園ものの漫画に登場するちょっと頭のゆるい中・高校生のような捻りのない発想がほとんど。昭和の文学に登場する哲学的すぎる人物もどうかと思うこともあるが、感情に赴くままに行動するような登場人物であれば良いというものでもないだろう。
まあ一発屋ならではの作品だが、作者の文章にかける意気込みや努力は並々ならぬものがあるように思うが買ってまで読みたくはないと思いました。

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最後の息子  吉田修一

第84回文学界新人賞 吉田修一 最後の息子

新宿を舞台にゲイのカップルの生活が描かれた作品。所謂ゲイの店が軒を連ねる新宿の界隈で店を開き、人気を集める閻魔というゲイのヒモとなって生活を送る主人公だが、以前は女性の彼女がいた。しかし、今では閻魔との感情をむき出しにしてある時には暴力を振るうような蛮行に出ながらも癒される日々を送っている。この作品の目新しいところはゲイが云々というより、主人公がビデオカメラを回していて、記録した映像を見ながら振り返るという設定だろう。映像という記録媒体を文字で置き換えるという手法は文章に三次元的な深みを与えている。確かに、これが映画のシナリオだったらウォン・カーウァイの「恋する惑星」まんまで、何も目新しさはないのだが小説だというのがミソだろう。村上春樹ウォン・カーウァイといった20世紀のアメリカ文化にもろに影響を受け、大資本主義という枠の中で与えられた自由に翻弄される若者の若者らしさに焦点をあてた作家に影響を受けた次世代の作家といったところだろうか。次世代ということもあって、貧乏臭さが抜けたところが新しいが主人公はやはり優男で無力な人間。無力というのは誰にも影響を与えないという意味においてのことである。それは、大企業と一消費者との関係にも似ているのかもしれない。


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看板屋の恋

第91回文学界新人賞 都築隆広 看板屋の恋

三鷹駅までいつも葬儀屋の案内看板を持って立つハーフの若者ジェイと大学受験を失敗し小説家を目指す主人公はある日立場を入れ替えて生活をするようになる。主人公の提案だった。そして主人公の男は下宿先の大家の娘と恋をする。一方、仕事から解き放たれたジェイは高校生活を送りながら今まで縁のなかった小説の世界に触れガルシアマルケス百年の孤独をとりつかれたように読みふける。しかし、大家の娘を奪われて絶望しながらも、まだ見ぬ父親の姿を思い浮かべるのだった。ジェイの父親は葬儀屋の社長だが、その妻が不貞を犯して生まれたのがジェイで、その母親が亡くなりジェイの父親が誰なのか分からず仕舞いだった。国木田独歩の文を引用しながら、吉祥寺に代表されるように学生を中心に保守的な若者が集う武蔵野を舞台に繰り広げられる汗臭さを微塵も感じさせない少女マンガ的世界。嫌味のない詩的な文章によってファンタジーに昇華させ、武蔵野という場所を物語の舞台として叙情的に築き上げた作者の腕は素晴らしい。


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蒔岡雪子

第94回文学界新人賞 蒔岡雪子 飴玉が三つ

母娘がアルコール依存症者を支援する断酒会に参加する。いわゆる1930年代にアメリカで始まったアルコホーリクス・アノニマスのようなサークルなのだが、この断酒会ではアルコール依存症に悩む本人だけでなく、家族も参加して助け合うのが特徴だ。

この話は娘、とはいっても既に結婚してもういい年齢の女性だが、死を目前に断酒を誓った父親を振り返るというもの。アルコール依存症が発祥した時の父親の乱れ振りもさることながら、父親に対してコンプレックスというか過大な愛情を持っている主人公の女性の異常ぶりが面白い。女性作家ならではの、リアリティがある。


主人公は狂乱状態の父親に一度だけ撲られたことがあるのだが、たった一度と思っておりそれも後で父親がそのことを忘れずに覚えておりしきりに謝ったことを却って幸せに思っているくらい。さらに、断酒会にいた同様にアルコール依存症に悩む男性が、主人公の女性とその母の話を聞いていて感銘を受けて、自分も今まで酒に依存して家族に迷惑をかけて、娘にも何度も暴力を振るったと告白するところがあるのだが、主人公の女性はその男性に対して卑しさと哀れみしか感じず、医者という職業で地位も名誉もあり暴力は決して振るうことをしなかった父親とは全然身分が違い低俗な男だと軽蔑のまなざしを送るところがある。


実は娘の主人公も同様に、高校生の時から酒の味を覚えるようになり悪性遺伝とも言うべき同じ道を歩んでいた。要するに、父親への愛は自分への愛で、父親と自分を同一化しているということなのだろう。

最後までその呪縛が解き放たれていないところにドロドロとした暗さが漂っていてある意味味わいがあるのだが、自分なりの意思を芽生えさせることなく既存の意思に振り回されているというのは新興宗教の狂信的な信者のようで無自我というか亡霊のようで怖さを感じた。