カラマーゾフの兄弟再読

ドストエフスキーの小説「カラマーゾフの兄弟」の中で、登場人物が精神錯乱をきたして心神喪失状態になるという場面が頻繁に出てくる。現代の裁判制度から考えた場合、心神喪失によって被告の罪が軽減される状況とみなされるほどカラマーゾフの登場人物たちの精神の疲弊度は激しい。

カラマーゾフの兄弟」のテーマの一つ、「カラマーゾフ兄弟たちの父親を殺した犯人は一体誰なのか?」であるが、その答えははっきりと明かされないまま小説は終わりを迎える。というより、ある意味では登場人物全員が犯人なのではないかと思わせるところがある。その理由として、登場人物全員が理性を完全に失い、自分自身の意思を制御できない状態になるという一面を持っているからだ。

現実的に、理性を失わないまま一生を終える人間がこの世界に一人でもいると言えるのだろうか?と仮定した場合、
その可能性はものすごく低いと考えられる。そう考えると、多くの人間が前後不覚の状態に陥って犯罪に手を染める可能性を秘めていると言える。

どこからが精神異常の状態で、どこまでが通常なのか、その境界線はあってないようなものだという見方もあるが、最終的にこの小説の中でもそうだが、社会は罪を犯した者がいかに欲が深い人物だったかそうでないかで判断するのではないかと思う。